信仰の原点を訪ねる
上野顯さん
(熊野速玉大社宮司)
古代の人々にとって命の保証のない大自然で生きるのは、想像を絶するほど大変なことだったでしょう。大自然の脅威と恵みは古代人の心に「恐れ」や気高く聖なるものへの「畏れ」を生み出しました。
「熊野権現御垂迹縁起」によると、熊野の神々ははじめに神倉山のゴトビキ岩に降臨されたとされています。熊野には自然が作り上げた神聖な場所がいくつも残っており、そうした特別の場所に神々が降り立ったのです。
「日本書紀」にも神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレヒコスメラノミコト)が神倉山に登拝されたことが出てきます。
東遷されてきたイワレヒコノミコトは、地域を治めている者からすれば「侵略側」ですから、各地で激しい抵抗にあいます。さらに熊野では荒ぶる神の毒気によって全軍が気を失ってしまいます。その時に天照大神がこの窮地を救うために神倉山の熊野高倉下命(クマノタカクラジノミコト)をして神剣をイワレヒコノミコトに奉ると、たちまち意識を取り戻されました。この伝承が、熊野が「甦り」の場所とされる原点です。
その後、景行天皇五十八年に新しい宮が現在の社地に造営されました。これが「新宮」という名の由来です。
熊野三山にはこのように現在祀られている神社のほかに、熊野速玉大社は神倉神社、熊野本宮大社は大齋原(おおゆのはら)、熊野那智大社は那智の滝というように、それぞれの原点となった重要な自然信仰の聖地があるのです。是非このことを御理解いただいた上で、熊野三山を巡拝いただきたい・・・これが私からのメッセージです。
もう1つ、皆さんは熊野詣というと、高位な方々が平安装束の女性らを連れ・・・というイメージをお持ちかも知れません。
しかし熊野詣の人々の多くは、辛いこと、悲しいことを経験した人たちで、難行を続けてでも滅罪と救いを求めて熊野を目指した一般庶民でありました。
自然信仰はやがて神道を生み、仏教伝来後は神仏が習合して「熊野権現信仰」が流布し、神が権(か)りに姿を仏に変え衆生を救うために現れると信じられました。
熊野はこうして強者弱者・地位や善悪・信不信を問わず全ての方々が救いを求める場所となり、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほど多くの人々が熊野を目指して旅したのでした。
熊野は全ての人が生きる力をもう一度受け取りに来る場所。難行苦行の果てにあるのは迷わず人生を再出発するための勇気と覚悟への加護であるということを感じていただけましたら、素晴らしい熊野詣の旅となるでしょう。
熊野速玉大社宮司