白浜ではぜひ、
南方熊楠記念館に
谷脇幹雄さん
(南方熊楠記念館館長)
白浜にお越しの際にはぜひ、円月島のすぐ隣にある南方熊楠記念館にもお立ち寄りください。
南方熊楠(みなかたくまぐす)は和歌山県が生んだ世界的博物学者にして、民俗学者・宗教学者・天文学者・生物学者・・・。「歩く百科事典」、柳田国男と並ぶ「民俗学の父」。あるいは「日本のレオナルド・ダ・ビンチ」などと称される、知の巨人です。
熊楠は1867年に和歌山市で生まれ、現在の東京大学に進みました。夏目漱石・正岡子規・幸田露伴が同窓だったようです。中退後は14年間アメリカやイギリスに遊学。帰国してからは熊野をフィールドに粘菌や生物調査をおこない、1941年に亡くなるまでを郷土・和歌山県の在野の学者として過ごしました。
十数ヶ国語を理解し、「ネイチャー」への論文掲載は実に51回! しかしその一方では大変な奇人でもあったようです。
さて、そんな熊楠に対し、最近改めて高まってきた評価の一つは「エコロジストの先駆け」としてのものです。
1906年、第一次西園寺内閣が神社の合祀を励行(各集落にある神社を一市町村一社に)し、次の桂内閣でもこれが継承されることになりました。熊楠は合祀後の森林伐採が自然景観や解明されていない生物の絶滅につながるとして、それらに強く反対したのです。
一方では投獄された際、「ここへは誰も来ないので静かだし、その上涼しい。もう少し置いてほしい」と言ったという、ユニークなエピソードを残していたりもします。
そんな南方の訴えを印刷し運動を助けた一人が時の内閣法制参事官・柳田国男。運動の甲斐あって1920年に「神社合祀無益」の決議がされますが、熊楠は以降も晩年まで、田辺湾の神島など貴重な天然自然を保護するための反対運動や天然記念物指定の働きかけを行いました。
記念館は多くの方々からの寄付により、生誕150年にあたる2017年に、リニューアル・オープンしています。
遺族からご提供いただいた研究成果や身の回り品、また「世界一長い履歴書」などユニークな品々を約800点展示しているほか、屋上テラスからは神島・円月島・田辺湾や四国などの絶景も見渡せます。
皆様のお越しを心よりお待ちしております。
南方熊楠記念館館長